2011年5月15日日曜日

支援物資を被災地へ

今回、2回目の支援物資を被災地へ届けるため、エムズを代表して、大船渡・陸前高田・気仙沼へ行って来ました。

今回は上田豪プロ、オーリー編集部の小野寺さんと3人で運びました。

みなさんが提供してくれた支援物資は無事現地へ届ける事が出来ました。

ご協力頂いた皆様、ありがとうございました。

エムズを13日の21時頃出発して、大船渡市を目指しました。

東北自動車道を一関インターで降り、下道で約100kmほど、草加からだと約600kmくらいかな?

10時間かけて、到着しました。

インターを降りてからしばらくは、道路の凸凹は多いものの、大きな地震があった事を感じさせないくらい
普通の町並みが続きました。

しかし、途中の陸前高田に近づくと景色は一変しました。

海からは、かなり離れている山の方まで、津波に押し流されて来た家の残骸が一面に広がり、想像を絶する状況でした。

陸前高田は津波によって沿岸から山の方まで全てが押し流されて何も無いと言った感じで、まだまだ、復興なんて言える状態ではありません。

写真を撮る事を躊躇ってしまうくらい悲惨な現状が広がっていました。

陸前高田を抜けて大船渡市へ向かいました。

大船渡は津波の被害が酷い所とほとんど被害が無い所が点在していて、複雑な感じでした。

同じ街中でも、ほんの数百メートル明暗が分かれていました。


大船渡に到着して、現地で支援物資を配ってくれている方々と物資の仕分けをやりました。

この仕分け作業がかなり大変で、食料・生活雑貨・男女の服・サイズなど支援物資を必要としている方へ分かりやすく、仕分ける必要がありました。

支援物資を送る際は仕分けの労力を軽くする工夫が必要だと再確認!次回の課題になりました。

朝10時から仕分け作業を開始して、配り終えたのが16時くらいかな?

みなさんに集めて貰った支援物資は全て必要とされている方の元へお届け出来ました。


帰りみちに、気仙沼へ向かいました。

気仙沼に着いた時はすでに暗くなっていましたが、道路1本挟んで津波の被害がある場所と無事な所があり、津波の被害は酷い状態でした。

気仙沼市で、最後の物資を届けに行き、帰路に付きました。

関東では大きな地震があった記憶さえ薄くなって、平穏な生活が出来ています。

心配事といえば、原発や夏場の電力不足でしょうか?

しかし、津波で大きな被害があった所は、いまだに大変な状況が続いています。

いつになったら、普通の生活が送れるか分からない様な状況です。

支援物資を必要としている方々が沢山います。

エムズでは上田豪さんや現地で動いてくれている方々と協力して、この支援を続けて行きます。

みなさん、今後ともご協力をお願い致します。


ウェブアルバムに現地の状況を載せました。見て下さい。↓↓↓

陸前高田・大船渡

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